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せいぜい丈夫な分厚い布で覆われているというだけ。天幕の裾のところどころは地面に届いていなかったり擦り切れてしまっていたりして、到底 気密性がある空間とは言えないのだが。それでも、テントの下、屋内の物音は独特な反響をまとって幕の中でこだまする。宙に揺れる幾つものブランコ。公演中ではないので真昼のように煌々と…というほどには明かりも灯されてはいない。他の演目は明るい外で練習出来るけれど、こればっかりは他所では手掛けられないことだから。長い長い蔓で吊り下げられた横棒に、それは身軽にも飛びついて。身に沿ったスパッツ姿も痛々しいほど、身軽なようにと痩せた少女たちが、蝶々のように頭上を飛び交う。
「この町は品のいい街だねぇ。」
彼らのような旅芸人は、通常ならば秋の収穫期が稼ぎ時で。収穫の祭りや品評会に添えられし華、厳しい冬が始まる前のひとときを、心ゆくまで楽しむ娯楽の対象として招かれるのがセオリー。それ以外の時期でも、例えば夏は夜が長いからとか、初夏なら植え付けの一仕事が済んだからと歓迎されもするけれど。一番忙しいし一番蓄えも乏しい、冬明けのこんな時期でさえ、わざわざ力仕事を持って来てくれたり、やっと来る春を前に何かお祭りでも催そうかなんて話まで振ってくれると、座長は人の善さそうなお顔を緩ませている。
「他の国じゃあ、まずは乱暴者にからまれることの方が当たり前だってのにね。」
こちらも胡散臭い根無し草に過ぎないのかもしれないが、それでもあまりに無体な暴力の的にされたり、収益の半分も持ってかれることだってザラな、見た目の華やかさとは裏腹、技の習練以外でも厳しく苛酷な世渡り稼業だから。それへの覚悟も一応はある身には、この城下町は何ともお行儀がよく、よそ者にまで優しい、天国のようなところに思えてしょうがないのだろう。
「でも、おかげさんで俺は出番がぐんと減ったよな。」
安全な土地では用心棒なんて要らないもんねぇと、放り投げるような言い方をすれば、
「何言ってんの、阿含。」
「そうだよ、あんたは用心棒としてしか働いてない訳じゃあないだろに。」
すぐ間近を通りかかった、猛獣使いの姉妹が口を挟んで来。こちらさんもまた、今は本番ではないからと、営業用の綺羅々々しい衣装ではないのにね。うふふんとお愛想笑いをしたのが、ちょっぴりの艶を含んでなかなかに色っぽかったりし、
「そうさな。お前が最近富に頼もしくなったのは、何も喧嘩沙汰で鍛えられたからってだけじゃああるまいよ。」
演目である曲芸や力自慢には、ただ膂力があるだけじゃあダメ。巧みな技とそれから、いかに高度なことなのかを観客へさりげなく、同時に感動を導くための驚異として理解させられる表現力も求められるため。体の柔らかさだけじゃあなく、お愛想も振れる柔軟な気性や演技力も必要で。よって、誰でも演目を任される訳じゃあない。寡黙にも裏方仕事だけをこなす者だっているのだけれど、
「人あたりも随分と砕けて来たせいもあろうよの。」
それなりのお年頃になって人性が練られて来たんだろうね。自分には容易いことだからって、このくらい何ほどのことでもないわなと、にべもない態度でかかるのではなくて。見ている人への愛想というのか、そういう立場の存在を意識しての振る舞いが出来るようになったからのと、座長がいかにも感慨深げにうんうん頷いたそんな間合いのこと、
「あ…っ。」
短い悲鳴が上がり、それに続いて“わ…っ”という複数の声が重なった。何事かと、そこは素早く体が動く。
「座長、阿含っ。アリサがっ!」
バルコニーと呼んでる足場から、こちらへと掛けられた声が指した先を見やれば。ブランコから落ちたらしき少女が、深々と沈んだネットの上へ、その身を少々丸めたまんま、横たわっているのがすぐに見えた。新しい技の練習中に、手が滑ったらしかったのだが、幸い、命綱とネットがあったので、怪我ひとつない模様。すぐにも自分で身を起こしたのへ、
「アリサちゃん、目眩いはしないか?」
怪我はなくとも、脳震盪を起こしている場合もある。そんなままに動き回っては、気分が悪くなったり、要らぬ障害が残りもすると聞いているから。じっとしてなという意味合いから、素早くネットへ飛び乗って、間近まで駆け寄った阿含だったが、
「…あなた、誰?」
少女は…その大きな瞳を凝らすと、自分へと近づいて来た道着姿の青年を見つめ返す。迎え入れるための視線ではなく、警戒の気配さえ滲んだそれであり、
「どうしたんだい? アリサ。」
阿含だよ、何だい、変なトコぶつけたのかい? 周囲が苦笑している隙に、少しほどサングラスを持ち上げて、真顔のままに一瞥を送れば、
「…あ、やだぁ〜♪」
真っ昼間から抱っこしてくれるなんて、阿含のエッチぃ〜と。たちまち軽やかな声を上げ、屈託なく笑って見せる少女ではあったので、
「ああ、こらこら。暴れたら良からぬところまで触っちゃうよん?」
頼もしい両腕へと掬い上げた少女へと、ふざけるような言いようを返し。わしわしと、移動のしにくかろうネットの上を、それでも要領よく端まで進んで、そこで待っていた年嵩の団員、彼女の父上へと無事だったお嬢さんを引き渡す。見栄えの軽佻浮薄ぶりにせいぜい合わせてのこと、蓮っ葉な口を利いても、その実、まだまだネンネのお嬢さんには手を出さない彼なものだから。親御さんたちにも受けが良く。すまないねとの会釈までいただいたのへと、苦笑を返した阿含ではあったが、
“危ない危ない。”
ずっと長い付き合いのように思われているが、実を言えばそんなことはない。身上を辿られないように、あちこちを転々としていた彼らだ。怪しまれぬようにと、施設を順々に出た後、それなりの年齢になってから養い親の下から離れて再集結し、まずはと…集結の場へ現れぬ進とグロックスの行方を追った。行方がなかなか見いだせぬ進を、まずは主城に見いだして、それからこれも必要なグロックスが彼の手元にはないと判るや、苦心惨憺して行方を追った。行動の連係やおのおのの特性、咒に磨きをかける訓練さながらの探索は、先日やっと実を結んだ訳だけど、数年を要したその試練をこなしていた間の居場所は此処ではなく、この一座とはほんの数カ月ほどのお付き合い。この城下へ至る街道にて、地回りだか何だか、与太者たちに絡まれていたところへ行き会ったのを切っ掛けに。助けてやったインパクトを利用しての…炎眼による暗示で全員へ同じ記憶を植え付けてあるものの、その場しのぎもいいところなため、あのようなショックに襲われ意識が混乱すれば、あっさりとほころびもする。とはいえ、
“確かにまあ、こういう咒なんて必要ないほど、善人が多い国ではあるよな。”
これもモラルの高さか、若しくは豊かさの現れか。心豊かにして人をむやみに疑わず、まるでこのまま御伽噺の世界のような、無垢な人々ばかりの国。その住民の多くが、さしたる波乱も経験せぬまま、平凡だが幸せなままに生涯を送るのだろう、そんな他愛のなさこそが、
“自分たちには夢のような国だねぇ。”
ちょっぴり他人事のように、くすぐったげに、でも苦そうに、小さく笑った炎眼の青年だった。
◇
座長も道化たちとの口上の打ち合わせがあるということで、手隙になった青年はのんびりとした歩調でテントから外へ出た。天幕に遮られていても結構な明るさをもたらしていた陽光は、直に仰ぐとなかなかに目映く。色つき眼鏡越しにやわらかな色合いの空を振り仰ぎつつ、ああ、本当に春も間近なのだなと実感させる。ちょっぴり擦り切れた石畳の広場は、町の中心部からは離れている上、人が住んでいる家屋も周囲には少ない、ともすれば寂れたところだったので。冬と春との端境期という微妙な今頃では、まだまだ人の行き来もないも同然。だからこそ、テントの回りでの練習というのも大っぴらにこなせるのではあるけれど、早く公演を始めたいねぇ、お客様たちの前で芸を披露とはこびたいねぇと、誰もがうずうずしているのが素人目にも判って、
“何とも微笑ましいほどだったら。”
彼らだけじゃあない。この町に住まう人たちだってそう。全員一人残らず善良なお人よし揃いかと言えば、そうでもない顔触れだって多少はいたりし、身勝手をやらかしては それなりの不幸を周囲へばらまいてもいるのだろうけれど。それでも、この町もこの国も、印象は悪くはない。見上げれば、視野一杯に広がる空。
“………品のいい街、か。”
悪い言いようで田舎でもある。他の大陸で目覚ましくも発達している最中である、先進の機巧からくりや文明がまだまださほどには流入も浸透もしておらず。何をするにも…日々の生活も様々な作業も遠出も、手間暇かけてを当たり前だと疑わない。こつこつこなすことだから、さして目覚ましくは数も量もこなせはしないが、それを不満に思ったり溜息ついたりしはしない、
――― 純朴で長閑な人々が、昔の時計で暮らす国。
だが、そんな国だということは、引っ繰り返せば、小手先の便利がなくとも不便さはないとする、時間も気持ちの余裕も有り余っている国だということではなかろうか。人よりも優先されてる何かのために、時間に追われ、追い抜かれ。置き去りにされたら“はい、それまで”というような国が、近年には少なくない。何かと“合理的”で便利ではあるのだろうが、何でも指一本で叶うところが進んではいるのだろうが…じゃあそれで時間の余裕が出来るのかと言えばそんなことはなかったり。何でそんなにも生き急ぐのか。母なる故郷を切り崩し、あちこち埋めたり汚して、一体何をそんなに速足で完遂させたいのか。果たして、目的が、答えが解っている上で、毎日を駆け回っているのだろうかしらというような、何だか理屈が妙な土地に比べたら。国土が豊かで、人々の道徳意識…モラルの高い国。歴史も古く、人々の心のありようも繊細かつ緻密で奥深く。少なくとも、合理主義の名の下に安易に採用されし、善か悪か白か黒かというような単純な“二極化”のみでコトを進めるという、幼稚で底の浅い機構システムのみに頼らない。誇り高く、奥行き深い人々が暮らす国、だということか。
“だが、俺らの祖先はそんな国の始まりには必要とされなかった。”
実を言うと、昔話はあまり聞いた覚えがなかった。自分たちの祖先の話。ただの御伽話じゃあないこととして、詳細まで隈無く聞かされたのはこの国へ渡って来てから。それまではただ漠然と聞かされてたこと。親の親のもっとずっと昔の代からそこに住まわっているにも関わらず、なのに当地の住民ではないとされ。疎外感や区別差別に遭わぬ日はなく。自我が育つとともに疑問も芽生え、何故どうしてと、じゃあ自分たちは何者なのかと大人たちに尋ねれば。そちらはもう諦めてのことか、遠い昔に遠い故郷を追われた一族なのだと教えられたものだった。元は武闘に長けた一族で、戦いに負けてのことか、それとも何かしらの禁を犯したのか。天の怒りで大地が避けたか、詳細までは明らかではなかったけれど。ともかく、この国この土地の根ではないことを、大人たちもはっきり自覚はしており。仕方がないことだと項垂れてもいて。文明とやらは進んでいたけど、何だか殺伐としていた大きな国の片隅で。自分たちは、誰かが作った四角い建物が見下ろす路地裏に、その箱ものに仕切られた狭い空しか知らぬまま、まだ世界も狭かった、そんな子供時代を過ごしていた。
“そっちはそんな昔話でもないのにね。”
待った期間があまりに長かったせいで混血も進み、純粋なる“炎獄の民”は事実上一人もいない彼らではあったが。なのに周囲の人々は、彼らを見分けた。異国の者、異郷の民。個としてさえ見てなんかいなくって、せいぜい単なる使い捨ての労働力階層の存在だった移民たちの中でも、最も下層に据え置かれた彼らさったのは。今だに怪しい魔法を信奉する遅れた国、いやいや、人をたぶらかす術に長けた、とんでもない処だとされてた遠国の民だったからに他ならず。さして交易もないからこその無知から、そんな風に蔑まれ、しかも…個人差こそあれ、途轍もない力を発揮出来る子が頻繁に現れた血統でもあったことからますます恐れられ。気がつけば、素性を明かしてはいけない身として地下へと潜って、暗黒街の仕事へしか関われない立場にまで追いやられてもいた。ならばと、そこを舞台に非合法な振る舞いにて伸び伸びと暗躍し、そうやって生き延びて来た彼らが、次に覲まみえた窮地が…。
――― 恐らくは“未曾有の”と冠されていいほどもの天変地異だった。
その手で何かを作るのではなく、人々のゆとり、歓楽という遊びから富をすすっていた立場には、実はこれが一番に堪えた。金や資産なんてあっと言う間に紙切れと化したからで。だが、それは他の人々にもさして変わらず。よほどの長きに渡って“便利”に慣らされていた人々だったから。そして、合理主義という名の下に、人間如きの視野の狭い計算で…穴だらけだったので幾らでも法規違反し放題だったからと、見境なく開墾された土地だったから。人工のシステムが破綻した途端、それなしで生きる術を知らなかった人々は一気に薄っぺらな見栄などかなぐり捨てた。限られた物資の奪い合いの中で、死に物狂いの民たちが再び思い出したのが、
――― 異国の者、異郷から流れ来た化け物。
どうしてよそ者にまで施さねばならない。土地を耕しもしない者へ、何で実りを回してやらねばならない。大衆の行き場のない怒りは、立場の弱い者や異端の者へと集まりやすい。ましてや、享楽の裏町にて我が物顔で振る舞っていた憎き者、不道徳をまとった悪魔。半ばは心的パニックから、ヒステリックな暴動に押されての壮絶な狩りが始まるのに、さほどの時間は掛からず。大人たちは何のかんのと罪状を負わされて囚監され、しかも、他の移民族へまで巻き添えで暴力が振るわれたことから、事態はますます混迷し、それへの抵抗からもっと大きな暴動が起きて。
“……………。”
一族の中、せめてもの心の故郷を保とうと脈々と教えを引き継いできた聖職者、僧正様へと託された子供らだけが、何とか命からがら外海へと脱出し。本当に根無し草になってしまった自分たちは、文字どおりの流浪を続けたその果てで、これも機縁か、王城と友好関係のあった陽雨国の救援船に助けられた。それから後の…自分の一応の生国の話は、どこからも聞いたことがない。
“そうまでの天罰を受けるような、国や人々だったってか?”
少なくとも、僧正様はそんな風にも仰せだった。我らが同胞たちを、働き者だった父や母、孝行者ばかりだった兄や姉を奪った者たち。天はちゃんと見ておられ、天罰を下されたのだと。よって、お前たちは彼らを憎んではならぬとも仰せで、悪しき心は実りを結ばぬからのと、ただひたすらに“時”を待てと。不安に揺れる子らを前に、滔々と諭されたものだった。約束の日、厳密には“ただ一日”のことではなく、機が満つるその頃合いを指すのだそうだが、それがいよいよのこと、当世にて訪れるのだという。我らを縛っていた不幸な軛くびきから解き放たれたのもその予兆であり、
『長らく“欠けた者”しか生まれなんだものが、グロックスの祝福を受けし“器”となる和子がとうとう現れたのもまた、約束の日が近き、その証左。』
そんな予言めいたことをしきりと口にしていた僧正様のその言。あの混乱の中でも紡がれ続けたその詞を、疑うべくもない“真の預言”へと決定づけたのが、他ならぬ この神秘の大陸への帰還を果たした彼らだという事実と来て。当時、血気盛んだった年頃の兄様姉様たちは、そりゃあもうもう真摯に立ち働いて、僧正様をお助けし。まだまだ幼かった自分たちへも、それぞれが引き取られし施設まで運んでは“教えを忘れるな”と、それは熱心に説いて一族の結束の絆を固め続けたものだった。それが何処の誰なのか、知らされてはいなかった“器”の和子の元へも、同じような使いは向かっていたらしかったが、数年が経ち、収容されていた施設から勧められた働き口へと出た頃合い。実は…そのまま世間から行方を晦ましたいい機会にさせていただいた自分らとは反対に、こちらからの繋がりを断ち切って行方を晦ましてしまった彼だったので。これは一体何事かと探査の網が張られもし、
“退屈はしないで済んだがな。”
表向き、王位継承を巡るものとされていた、例の内乱に揺れてたどさくさ紛れに、いやもう、色んな意味合いからスリリングな日々を過ごさせてもらったからと、生きてる証拠に満ちている今の毎日を、ありがたいとまで思っている彼であり。それと…これはちょっぴり“らしくもない”と自分でも思ってることだけれど。
“………。”
グロックスの行方を追っての最終局面にて、とうとう見つけたあの“器”の騎士様を、実は数週間ほどもかけて眺めていて感じたこと。
“過去からの因縁も知らぬまま、身の回りに誰もいず、何も持たず、天涯孤独の身でいた彼奴と。肉親に等しき同胞たちが幾たりも周囲にいたけれど、その全員で、たった1つしかない苦難の道を、選ぶことなぞ叶わぬままに歩むしかなかった自分たちと。”
一体どちらが幸せなのだろかと。ついつい兄へも零したほどに、これまで疑いもしないままだったその行動へと初めての戸惑いというブレーキを掛けられた。過去からの何やかやという教えの全てを、果たして頭から信じ切っていて良かったものか、流されるままでいて本当に正解なのだろうかと。ちょこっと立ち止まる機会も貰えたような気がして、時折こんな風に、深々と息をつきつつ遠くを眺めやる、最強の炎眼を持つ彼だったものの、
“…馬鹿の考え、休むに似たりってね。”
あんまりいい陽気だったから、少しほど頭が煮えたかなと。苦笑を浮かべてかぶりを振りつつ、ついでに“独り”をも振り切った。それでなくともいよいよの正念場、余計なことへとこだわっていい立場ではないことくらい心得ている。何処かから聞こえて来た小鳥の囀りが、雛の声だか何とも弱々しいそれだったのへ、
“守ってやれれば正義で、ずっとは無理だと見切れば非道、か。”
意識の隅にて小さく笑い、道着の中へ懐ろ手をしたまま、その戸口からこっちへと手を挙げた同じ服装の少年の方へと向かって、天幕の中へと吸い込まれるように戻ってゆく彼である。
◇
《 ああ、それなら、封印のための聖護の翼紋ですじゃ。》
さすがは神威をおびたる聖剣を鋳すほどもの、聖なる世界に名だたる職人の一族だけあって。高見さんから聞き出して来たシェイド卿の聖剣の紋から、その性質を教えてくれたのみならず、
《 グロックス? そのようなものが出て来たと仰せか?》
さすがは聖なる武器や装具の専門家。ドワーフのお爺さんは、グロックスに関しても何かしらご存知なご様子であり。弟子だという若いのに、一通り鋼を叩かせている間だけ、土の上、温室の方へと顔を出してくれたので、その辺りのお話も拝聴することとなった瀬那たちで。彼もまた人間からすりゃあ気の遠くなるような歳月を生きて来た身。こちらが得て来た情報を一通り語ってから、足りないことやら補足やら、何か知っていることはないかと尋ねたところが、
《 聖霊の筧殿ですか。懐かしい名前ですじゃ〜。》
あやつがこ〜んな小さい頃からの知り合いでと、ちんまり小さなお身体の顎あたりへ、自分の手のひらを平らにかざして見せたのへは“それは嘘だろう”と誰ともなく思ったのはともかくとして。(苦笑)
《 アクア・クリスタルをお持ちになったのも、闇の咒の対抗となるからとの思し召しからでしょうがの。》
さようか、あれは…問題の狼藉者たちというのは、選りにも選ってそんな筋の者らじゃったかと。最初に見せた威勢の良さが掻き消えて、何とも複雑そうな様子になるドワーフさんであり、
「…おい?」
知ってることがあるのなら、それこそ大威張りで片っ端から語ってくれるかと踏んでいたのに、何だその思わせ振りはと、勢い込んで食ってかかりかかった黒魔導師様を。大慌てで桜庭とセナとで押さえ込んでいると、
《 筧殿の言、召喚師サマナーたちの道具だったというのはその通りですがの。》
白いお髭の先をゆっくりと撫でながら、ドワーフさんはそれだけではないと、更なるところを語り始めた。
《 あれは特殊な小道具で、作ったのは我ら一族ではありませぬ。叩こうが落とそうが、炎の中へとくべようが、ちょっとやそっとじゃ壊れぬ不可思議な素材にて構成されておりましての。どんな鉱石、どんな手法で作られしか、こっちが教えて欲しかったくらいだったそうで。》
これは、我らの“約束されし時間”までの刻限を刻むもの、と。
《 そうと言われて、仔細までは見せてもらえなんだとか。》
それを今こうやって見ることが出来ようとは、はてさて長生きはするものですじゃと、しみじみ語るおじいさんだったが、
「………っ!!!」
「“約束されし時間”だってっ?!」
水晶の谷で聖霊の筧さんが教えてくれた、炎獄の民に伝わりし概念とやら。自分たちの犯した業の深い罪の数々は、だが、一定の刻限を決禊して過ごせば全て浄化され許されるというもので。後顧の憂いなく遺憾なく戦えという檄の代わりに近かったものでもあろうと、そんな判断をしていたものの。
「そっか。彼らの結束に関わる品だったのか。」
何を誰から許されるかは二の次。そんな謂れがあるということで、未来に何かしら約束されているのだと、自分たちの心の支え、結束の要にしていたのやも。そんな風に解釈していた“約束された時間”を、物理的に象徴するものだったというのなら、彼らがその行方を探したのも、ある意味当然のことだったんだろうと、納得がいったところへ、
《 ただ。召喚師たちの手にあった小道具だということはじゃ。他の使いようも推察出来ますでの。》
見えない時を刻んで…音もなく。上の器から細いくびれを通って下へと流れ落ちる、煤けた色合いの細かい砂。結構な大きさながら、それでも一応と測ってみたところ、片側からもう一方へは1時間かかって全部が落ち切るのだとかで。それを観察していた桜庭によれば、全て落ち切っても何かしら変わった動きが始まるでなく、何かしらの作用も起きなかったとか。
「そういえば、筧さんは、何者かを召喚する“道標”に使うのかもって。」
正確には、そういう咒をばかり使う一族の道具だったからという順番の、推察半分な言い回しだったのだけれども。
《 そう。そんな仕儀への小道具だとして、例えば…約束されし時間とやらの、その刻限をリミットに何かが開放されるのかもしれませぬ。》
ドワーフさんが妙に感慨深そうなお顔になったのは、更に先のことを推察したからに他ならず、
《 この特別な器の中には、闇の眷属を召喚するに必要な、何がしかの力が…精気エナジーが封じられておるのやも知れぬ。たとい、的確に招くことの出来る道標があっても、巨大な何かを招くには限度があるのじゃが。その何がしかの精気と、生態的な何かが連動せし和子を見つけておき、召喚したものの“寄り代”にするという次第を構えているものやもしれませぬな。》
この中に永の歳月掛けて育みし精気と、それから。陽世界での活動に支障のない、十分に優れし素養を持つ殻器と。それが見事、丁度この当世にて揃ったのだとしたら? 何処かで聞いたことがあるような展開を語ったドワーフさんだったが、そのおまけの方にはちょいと反応が遅れた一同だったのは、
「召喚したものの“寄り代”だと…?」
闇の咒に関わるアイテム。闇の咒の影響を多々受けたことから“炎眼”を持つ身となった、呪われし召喚師たちの末裔。そして…大事なアイテムよりも優先して、彼らに攫われたままの白い騎士。
「………。」
誰もが…蛭魔でさえ、二の句を告げずにいる。まさかそんな、そんなまさか。でも、それではどうして、あの彼を。咒には一番縁遠いと思われてた白き騎士を、こうまで。セナへの襲撃というとんでもない特攻をカムフラージュとして構えるような、何とも果敢で手の込んだ方法で手中に収め、がっちり咥え込んで離さぬ彼らなのか。
“やっぱり、妖一の推理が当たってたってことなのか。”
だとしても、嬉しくはない冴えだったけれどと。いかにも苦々しく眉を寄せてた導師様がたと、辛そうに項垂れてしまったセナ王子だったのだけれども。そこへ、
《 儂わしは“炎獄の民”とは、あいにくと面識もありませぬが。》
ぽつりと。ドワーフさんが付け足すように呟いて。
《 年寄りから色々と話も聞いておりますじゃ。》
彼らのためにと聖剣や武具を作りし、祖父やら父やらだったそうだから。もしかしなくとも、最も間近に、そんな彼らの生の声、感慨を見聞きしもしたことだろう。
《 強くなりたいと一途に思ったが故の、故意に負った火傷のようなもの。愚かと言われればそれまでですがの、それは強かった闇の者らや邪妖から人々を守りたいからと、炎を素手で掴んで武器にしたようなものでの。》
相手を根絶やしにするようなレベルでの戦いだったからこその、苛烈な力を欲しがった彼らであり。なのに…その力が過ぎたことから、選りにも選って彼らが命がけでお守りした御方々の手で、容赦なく滅ぼされた悲劇の一族で。
《 無論、だからとゆうて何でこの今、直接には何の遺恨も関わりもない方々を、いいように蹂躙するかのように翻弄する理由にはなりませぬがの。》
こうまでの歳月を隔ててなお、その身をこんな騒動の格に据えている彼らだということから。その悲劇の後もなおずっと、どれほどの艱難辛苦を舐めて来た者らなのかも偲ばれるようでと、そんな想いから…唐突に元気のなくなったドワーフさんであったのらしく。
《 自分らのためだけじゃあなき動機から、進んで泥にまみれた者らだのにと思うと、この仕儀、どうにも切のうなりますじゃ。》
この世には侭ならぬことの何とも多かりしことか。どうしてこんな、直接には憎うもない者同士で、諍い合わんとならんのか。悲しい悲しいと小さな肩を落とした大地の精霊さんだったのだが。
「…悪りぃな、爺さん。俺ら、自分のことで精一杯だ。」
ホントなら。相手の動向、最終目的や何やまで、もっと熟考した上で、もっと穏当な策を捻り出せもするのかもしれないが。あまりに切羽詰まっているから、とりあえずの対抗策しか思いつけないし、
「大切なものを、どうあっても取り返したいんでな。」
血縁とか同胞とか、もしかしたなら向こうの仲間なのかもしれないが。それでも、あの白き騎士殿は自分たちの仲間だから。そして、この小さな公主様にとっての掛け替えのない人だから。そこだけは譲れないと、きっぱり顔を上げた面々だったりするのである。
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*そろそろ敵さんサイドの模様も書かねばで、
なかなかにキツイ頃合いに入ってまいりました。
前のお話みたく“勧善懲悪もの”じゃあないのが辛いです。
ががが、頑張りますです。 |